何故、学歴があってもバカなやつはバカなのか?
★そもそもの話、受験勉強ってなんで必要なんですかね?
それに関して考えてみたことがあるという人は多いと思います。
やっぱり勉強していると嫌なこともあって、面倒くさくて、「なんでやらないといけないんだろう?」って考えることは当然なことです。
確かに受験をして良い大学に行けば、その学歴は就活で一つの大きな武器になるでしょう。
あるいはより能力の高い教授の授業を受けることが出来るっていうメリットもありますね。
レベルの高い大学であればある程加わるメリットが大きくなるっていうのは間違いない
はずです。
そしてその自分が行きたい大学に行くために課されるのが受験であって、だから勉強しなければならない。これが一般的な道理ですよね。
★でも問題は、「その受験勉強で得られる能力って何なの?」っていうことです。
例えば東大生とかなら、「全員頭が良い」くらい言いきれそうなもんです。
ただ基本的には、学歴と頭の良さが必ずしも比例するわけではないことは何となくわかると思います。
実際今の日本の受験制度では馬鹿でも勉強しさえすれば、それなりの大学には行けます。
受験制度を批判するつもりはないです。だって頭の良さを試すためにはまずある程度の知識がないと話になりませんからね。
・方程式を知らなければほぼどんな数学の問題も解けません。
・漢字が分からなければ現代文は読めません。
★それを踏まえたうえで、受験勉強で得られるもの、あるいは大学側が求めるものは何か。
僕はそれは、「一つの物事をコツコツと積み上げる能力」と「思考力」。
この二つだと思います。
ただこれ、実は「前者」だけで終わってしまう人が多いんです。
言い方悪いですけど、レベルの低い試験問題を出す大学で求められるのは知識があるかどうかだけです。
要は大学側が信用してないんですよ。
決められた期限までに単語や熟語を記憶するという単純作業ができるかどうか。
この能力の有無を問うことで終始してしまうんです。それをクリアすれば受かってしまいます。
コツコツ知識を増やしていけば、中には何にも考えずがむしゃらに暗記をするだけで受かる人もいるでしょう。
でもレベルの高い大学の試験問題の場合は違います。コツコツ積み上げられた知識の部分は当たり前の大前提として、しっかり思考力を問うてきます。
だからその試験問題に対応するために頭を働かせて、思考力を鍛えることが出来るんです。
こういう人にとって学歴やら、質の高い教育なんてものは特典みたいなもんです。
受験勉強は将来のためだけのものじゃなくて、まず自分の能力を高めるためのものだからです。
受験を経ても頭が良くならない人と、そうではなくしっかりした思考力をつけることが出来る人の違いはここにあります。
★じゃあ僕の言う、試験問題のレベルの高低って何で決まるのか。
その大きな指標になるのが国公立大学か私立大学かの違いです。
例え名目上の偏差値が低かろうが、マーチや早稲田・慶應なんかよりも国公立の試験問題の方が質が高いと思います。
何故かというと、その大きな理由は国公立の場合試験が一次と二次に分かれているからです。
国公立の場合、一次はセンター試験、二次は記述試験てなっていますよね。
つまり僕がさっき言ったところでいうと、一次で「物事をコツコツ積み上げられる能力」を、二次で「思考力」を問われるんです。
頭そのものを良くしようという意識で臨まなければ受かりはしません。
でも私立の場合はどうでしょう?
一つの試験で知識も、思考力も問わなければいけません。
極端な話をすれば思考力が皆無だとしても知識系の問題が満点なら十分受かる見込みはあります。第一、センター試験だけで受かる場合もありますしね。
つまりそれで受かった人たちの中には、ただ努力することが取り柄のストイックマンやコツやテクニックやらで乗り切ったような有象無象がいっぱいなんです。
例え学歴があっても頭が悪いと思われるのは当然ですよね。
だから僕は、受験勉強というものを本当に意味あるものにしたいと思うなら、国公立大学の勉強をするべきだと思います。
高い思考力をもっていて早慶を目指す人もいると思いますが、知識問題にいちいち足を取られる分効率が悪いんですよね。
国公立に受かろうとすると否が応でも思考力を鍛えられます。だから良いんです。
やっぱり何をするにしても未来のために今を犠牲にするんじゃなくて、今を磨いた先に未来を勝ち取れるのが最高だと思うんです。