「真面目」にひねくれてみた
三月になっちゃいましたね。国公立の受験生も大体前期試験が終わって、一息ついてる頃じゃないでしょうか。
この前何気なくテレビをつけたら、「さんまの東大方程式」っていう番組がやってました。さんまさんMCで、ひな壇にズラーっと並んだ東大生がテーマごとにトークするって感じです。
ちょうど一通り試験が終わった受験生的にはどうなんだろうって思いましたけど(笑)
見てると、やっぱり東大生ってすげえなって思いました。変わっているというか、アクが強いというか、もちろんそういう人ばっかじゃないんと思うんですけど。
例えば勉強法の話で、あらゆる隙間時間を使うっていうのがありました。ドライヤー中、家での食事中、通学途中チャリンコに乗りながらとか(笑)
あと僕が面白いなって思ったのが、モチベーションの作り方の話です。女子だったんですけど、やる気が出ないときは一緒に東大を目指すイケメン彼氏を妄想して、自作の小説の中で励ましてもらうっていうのがありました。
こういうの聞くと、やり方は無限だなって思えて自分ももっと工夫すれば、なんか良い方法あったかもなって思えてきます。
番組を一通り見てて、何となく共通する部分だと思えたのが皆我が強いってことです。型に縛られてないからこそ、本当に自分に合った勉強を作り上げていくことが出来るんだろうなって思います。
さて、ちょっと話は変わりますけど世の中生きてるとピンと来ない言葉ってありませんか?
僕的には「優しい」とか「おもしろい」とかが妙にひっかかることあるんですけど。
その中で今回話したいのが、「真面目」って言葉です。
小さいころなんかは、親に「もっとまじめに勉強しなさい!」とか言われますよね。
よくわかんないけどぼんやり自分はもっとしっかりしないといけないんだろうなーって思って、がんばります。
あるいはその時は真面目ってなんだよ!とか思いつつもそれについて考えるのをやめてしまって、自分が指導する側に回れば結局真面目って言葉を多用してたり。
結局一般的に使われている「真面目」って言葉は、管理する側にとって便利なだけの薄っぺらな言葉だと思うんですよね。
辞書で調べるとこうです。
「真面目」・・・嘘やいい加減なところがなく、真剣であること。本気であること。
この真剣であること、本気であることが社会一般的な共通ルールに対してしか向けられないことばかりになってしまっているから問題なんです。
自分が認められないようなルールにも従ってるのってむしろ自分に嘘をついているみたいで、そっちの方が不真面目なんですよ。
この意味の真面目さを貫き通していては本当に自分に合った生き方をするのが難しいのは当たり前です。
そうじゃなくて、真剣に、本気で打ち込むべきなのは自分が納得したものに対してのみであるべきです。真面目の対象は自分の意思に従うべきであって、権威ある誰かが作ったものである必要はないんですよ。
そういう意味で東大生が持っている我の強さっていうのは本当の意味での真面目さに通ずるところなのかなって思います。
一般的な感覚で東大生とか、頭の良い人に会うと意外に真面目じゃないというか、チャランポランに見えたりするんですよね。
でも自分が好きなことに関しては人一倍の熱量を持っていて、そういう意味での真面目さこそもっと評価されるべきなのになっていうのはつくづく思います。
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